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福岡高等裁判所 平成6年(行コ)5号 判決

大分県豊後高田市大字玉津一〇五五番地の二

控訴人

松江貞信

右訴訟代理人弁護士

内田健

同県宇佐市大字上田一〇四六番地の三

被控訴人

宇佐税務署長 河野誠一

右指定代理人

菊川秀子

阿部幸夫

小松弘機

山崎省典

松岡博文

徳田実生

亀井勝則

主文

一  本件訴訟を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一申立

控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人が控訴人に対し昭和五七年二月九日付でした昭和五三年分の所得税についてなした更正及び重加算税賦課決定の各処分を取り消す。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

第二事案の概要

一  本件は、控訴人の昭和五三年分所得税申告に関し、控訴人には原判決別表3番号1ないし10記載の土地一〇筆の譲渡による所得があったとして更正及び重加算税賦課決定の各処分をした被控訴人に対し、右各土地が控訴人の所有であったことはなく、したがって譲渡所得は控訴人に帰属していないと主張して右各処分の取消を求めた控訴人の本訴請求を棄却した原判決に対し、控訴人が控訴を申し立てた事案である。

二  当事者間に争いのない事実、当事者双方の主張は、以下に訂正するほかは原判決二枚目表一〇行目から同八枚目表四行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。

原判決二枚目表八行目から同裏三行目にかけて「更正及び重加算税賦課決定」とある(三箇所)のをいずれも「更正及び重加算税賦課決定の各処分」と改める。

第三証拠

原審及び当審における証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

第四判断

一  当裁判所も控訴人の本訴請求は失当と判断する。その理由は、以下に訂正するほかは原判決八枚目表五行目「第三 争点に対する判断」説示のとおりであるから、これを引用する。

原判決八枚目表七行目から同二八枚目表二行目までを次のとおり改める。

「1 甲一ないし一四号証、原審承認河野新一の証言、原審における控訴人本人尋問の結果及び以下の認定事実中に付記した各証拠を総合すると、以下の事実が認められる。

(一)  山口県柳井市に本社を置き、コンクリートパイル、護岸ブロックなどの製造を業としていたカワノ工業は、前述のとおり昭和四七年六月ころに本件一四筆の土地を買い受けたものであるところ、そのうち本件1の土地は控訴人(豊後高田市議会議員であり、かつ、カワノ工業の子会社で河野が代表取締役を務め、事務所も同じ社屋にあり、カワノ工業が製造したコンクリート製品の販売を業としていた山大コンクリート工業株式会社の常務取締役の職にあり、毎月一回ほど豊後高田から柳井に出向いていた。)が日出美名義で先に取得していた土地であり、カワノ工業は、控訴人の勤めにより、将来の大分進出にそなえて右各土地を取得したものであったが、いずれも農地法が適用される農地であったため、有資格者である日出美の名義を借用し、後にカワノ工業の所有名義とするときには何ら異議は述べないという契約書(甲四六号証の七)を徴し、これに公証役場で確定日付を得たうえ、既に日出美の名義であった本件1の土地を除くその余の土地につき農業委員会の許可を受けて日出美名義の所有権移転登記を受けた。この間の地権者との交渉、名義借用、右契約書の作成などはすべて控訴人が取り仕切り、また、控訴人は河野に対し表向きの売買代金の他に売主らに対し離農料などの裏金を支払う必要があると申し向け、河野はこれに応じて約九〇〇万円を自らのポケットマネーから支出して控訴人に交付した。

カワノ工業は、右のとおり本件一四筆の土地の登記簿上の所有名義を有していなかったが、会社の土地台帳(甲四六号証の六)には資産として計上していた。これに対する固定資産税、土地改良区の負担金などの費用はすべて控訴人が日出美名義でいったん立替払いした後カワノ工業からそのつど支払を受けていた。

(二)  昭和五二年二月、市は公共下水道事業基本計画を策定して大分県、建設省との間で同計画の検討を開始し、同年九月ころ、終末処理場建設用地として豊後高田市大字呉崎字南桂地区に所在する本件一〇筆の土地ほか二筆の土地(本件15、16の土地)を予定した。市議会は、同年一〇月、市執行部から右予定地につき説明を受け、同月一六日には委員一〇名による公共下水道事業推進特別委員会(委員長は森若静夫)を設置し、控訴人も委員の一人に選ばれた。同月二五日、同特別委員会は終末処理場を右予定地に建設することを決定した。市執行部は、同年一二月一四日、都市計画法に基づく告示をし、地元住民の原則的同意を取り付けたうえ、翌昭和五二年二月一八日付で建設大臣から下水道事業計画の認可を受け、同年三月一日付で大分県知事からの認可を受けた。

(甲一五、一六号証、同六五号証、同六六号証の一ないし五、同六七、六八、七一号証)

(三)  この間、市議会議員として本件一〇筆の土地(登録簿上の面積は本件一四筆の土地のうちのほぼ半分強である。)が終末処理場の建設予定地となったことを知った控訴人は河野に対し本件一四筆の土地が市の終末処理場建設用地として買収されることとなった旨を告知し、河野は既に大分に進出する計画は断念していたため、本件一四筆の土地を売却することを承諾した。

控訴人は昭和五一年一一月中及び同年一二月中に数度にわたり、カワノ工業の顧問会計士であった公認会計士廣田泰久の事務所を訪れ、一般論の形で数人が公共事業のために土地を売却した場合の三〇〇〇万円の特別控除は各人毎にあるのかなどにつき質問し、廣田から右特別控除の適用について説明を受け、これに基づき、河野に対し本件一四筆の土地の所有名義を数名の者に分散して市に売却し、税の特別控除を受ける予定である旨を告げた。また、控訴人は、このとき、廣田に対し一般的な話として現金の保管はどうしたら良いかをも尋ね、これを安全有利な利殖方法についての質問と解釈した廣田は、国債、割引債、マル優預金などについて一般的な説明した。

(甲三〇、三一、三七号証)

(四)  昭和五二年初めころから、控訴人は終末処理場建設予定地である本件一〇筆の土地の所有名義人である日出美の代理人と称し、佐々木徳義市長と本件一〇筆の土地の売却交渉を行うようになった。また、控訴人は市に対し本件一〇筆の土地を終末処理場建設用地として売り渡す条件として、対象外の本件四筆の土地についても第三次処理施設の用地(市はその当該まだ右処理施設の建設計画を有していなかった。)として買収するよう求め、同年五月一五日、佐々木市長から本件四筆の土地も本件一〇筆の土地と同一単価で買収する旨の覚書(乙八二号証の二ないし四)の交付を受けた。市は本件一〇筆の土地などにつき坪あたり約一万二五四〇円とする鑑定評価に基づき、佐々木市長と控訴人との交渉の結果、同年六月には買収価格を坪あたり一万二五〇〇円とすることにほぼ決定した。これに基づき、佐々木市長は公社に対し本件一〇筆の土地などを終末処理場建設用地として先行取得するよう依頼した。

(甲六九、八二号証、同七三、七四号証の各一、二)

(五)  一方、控訴人は、同じ市議会議員として同一会派に所属していたことがあり、私的にも昵懇の間柄であった早田晴次や日出美の父である舩倉基弘のほか堀江義勝、岡本隆、波多續及び東本道彦に対し、本件4ないし14の土地を自分で買受けたいが、農地取得の有資格者ではないからとして名義貸しを依頼し、その了解を得た。

同年七月一日ころ、控訴人は河野に対し、本件一四筆の土地が市に買収されることがほぼ決まった旨報告し、河野は、カワノ工業が日出美、右早田晴次ら計七名の者に対し本件一四筆の土地を代金合計一九〇七万六四五七円で売り渡す(内訳は原判決別表3番号1ないし14及び別表4A記載のとおり)旨の同年七月一日付土地売買契約書(甲四六号証の一一、同第五九号証の八)に署名押印したうえ、権利証を控訴人に交付した。右契約書における代金額は、カワノ工業が昭和四七年に購入したときの買い受け価格一二八三万七二四〇円に、買い受け時から右契約書上代金決裁日とされた同年九月三〇日までの年八・二五パーセントの割合による利息相当額五六〇万五七二四円と取得時から譲渡時までの間にかかった公租公課などの費用六三万円余を加えた金額とされた。

このとき、河野は、カワノ工業は五年以内に本件一四筆の土地に進出しないときは、買い受けたときの価格に利息を付した価格で日出美に譲渡する旨の、作成日付を昭和四七年六月一七日に遡らせた念書(甲四六号証の一二、同五九号証の四)にも署名押印した。

なお、これ以後、控訴人はそれまで立替払いしていた本件一四筆の土地の固定資産税などの費用の支払いをカワノ工業に請求することはなくなった。

昭和五二年八月、控訴人は行政書士本城甲に依頼し、本件4ないし14の土地を日出美から舩倉基弘ら六名に譲渡するについての豊後高田市農業委員会に対する農地法三条の許可申請手続をし、同年九月七日、その許可を受けた。控訴人は、同じころ、自らあるいは早田晴次を通じて右各名義人から登記手続に必要な書類に押印を受け、弁護士近藤新に依頼して、同月九日、原判決別表3記載のとおり各名義人に対する所有権移転登記を経由した。

そのころ、控訴人はカワノ工業に対する土地売買代金一九〇七万六四五七円の支払に充てるため、早田晴次に対し同人名義で大分県信用組合高田支店から二一〇〇万円の借入れをおこしてもらえないかと持ちかけ、早田晴次は本件一四筆の土地を担保とし、他の所有名義人を連帯保証人とすることでこれを承諾し、同支店に借入の申込みをした。控訴人は同支店の支店長に対し、本件一四筆の土地は終末処理場の建設用地として買収される予定であり、右借入金の返済は確実であることを説明した。同年九月二二日、同支店は早田晴次に対する二一〇〇万円の融資を実行し、新たに同支店に開設された「早田せいじ」名義の普通預金口座に右金員を入金した。控訴人は、同月二六日、右口座から一九〇七万六四五七円の払戻を受け、これを株式会社広島銀行柳井支店のカワノ工業の預金口座に振込送金した。

なお、控訴人は前記所有権移転登記手続費用は右「早田せいじ」名義の普通預金口座から下ろした金で支弁したほか、預金残高が二一〇〇万円の借入金の利息支払に不足するときは自らこれに入金していた。

(乙三ないし二九、三七ないし三九号証、同六八号証の二ないし一四、同六九号証の二ないし一〇、同七〇号証の二ないし七、同七一号証の二ないし七、同七二号証の二、同七三号証の二ないし一三)ー

(六)  同年一〇月から一一月にかけて、用地買収にあたっていた公社職員は本件一〇筆の土地の所有名義人である舩倉基弘、堀江義勝及び岡本隆を表敬訪問したが、その際、右三名は、あらかじめ控訴人と打ち合わせていたとおり、用地買収交渉は控訴人に一任している旨公社職員に告げた。

本件は一〇筆の土地を除く他の二筆の終末処理場建設予定地の買収が完了した後の昭和五三年五月一五日、公社は控訴人の立会いのもとに、舩倉基弘(娘日出美の代理人でもあった。)、堀江義勝及び岡本隆との間で、本件一〇筆の土地につき各代金額を原判決別表4A記載のとおりとして(合計七八六二万二〇〇〇円)売買契約を締結し、あらかじめ右四名の代理人と称する控訴人から代金は現金で一括して支払ってほしいと要望されていたため、同月一九日、控訴人の立会いのもとに右舩倉基弘、堀江義勝及び岡本隆に各代金を現金で支払った。右三名はその直後市役所玄関前で控訴人に対し受領した右各代金を交付した。

控訴人は、右買収代金を受領した後、大分県信用組合高田支店に対し前記早田晴次名義で借り入れた二一〇〇万円の一部弁済として一〇八七万六三九〇円を弁済したほか、日出美の名義により三〇〇万円と一七〇〇万円を定期預金、八万四六五八円を普通預金、舩倉基弘名義で三〇〇万円と一六〇〇万円を定期預金、四七万八九〇九円を普通預金、岡本隆名義で九一九万円を通知預金、六一〇三円を普通預金としてそれぞれ預け入れ、野村証券大分支店に対し堀江義勝名義の国債三〇〇万円、リットー三〇〇万円、ワリコー七三二万円、岡本隆名義の国債三〇〇万円、リットー三〇〇万円の貸付け代金を支払った。その後、控訴人は右岡本隆名義の九一九万円の通知預金等を解約し、払戻し金のうち五一九万六一〇三円を株式会社大分銀行高田支店に岡本隆名義の二八〇万円と二二〇万円の定期預金、一九万六一〇三円の普通預金として預け入れ、残り四〇〇万六〇四円のうち三九九万六九四五円を野村証券大分支店に岡本隆名義のワリチョウの貸付け代金として支払った。控訴人は右各預金証書、有価証券の預かり証、本件四筆の土地の権利証等の関係書類を所持していたが、同年九月の定例市議会において終末処理場建設用地取得に関して疑惑があると追及されたため、これらの関係書類を舩倉基弘ら各名義人に預けて保管を依頼し、また、前記昭和五二年七月一日付土地売買契約書に日出美ら七名の名義人の署名(記名)押印を求め、これを完成させた。

なお、控訴人は、昭和五二年一二月ころから昭和五三年六月ころまでにかけ、名義貸しの謝礼として舩倉基弘に対し六〇万円、堀江義勝と岡本隆に対し各二五万円、早田晴次、波多續及び東本道彦に対し各二〇万円をそれぞれ支払い、各所有名義人に賦課された固定資産税などの税金も自ら納付した。

また、控訴人は、昭和五三年六ないし九月ころ、河野の息子でカワノ工業の専務取締役である河野通晴に対し、土地が代金約六〇〇〇万円で買収されたこと、そのうち市長に一〇〇〇万円、前記森若静夫に五〇〇万円を渡し、名義人に対する謝礼などで五〇〇万円必要だから、残り二〇〇〇万円を柳井に持参するなどと述べたことがあり、昭和五四年三月ころ、右河野通晴は控訴人に対し、右二〇〇〇万円はいつ持参するのかを尋ねたが、控訴人は共産党が騒いでいるから動かせない旨返答した。

(甲三八、四一号証、乙三ないし三五号証、同七四号証の二、同七五号証の二、同七六号証の二、三、同七七号証の二ないし七、同七八号証の二、同八〇号証の二ないし六、同八三号証の二、三、同八四号証の二、同八五号証の二ないし五、同八六号証の二、三、同八七号証の二ないし四、同八八号証の二ないし四、同八九号証の二ないし九、同九〇号証の二ないし四、同九一号証の二ないし五、同九二号証、同九三号証の二ないし四、同九四号証の二、三、同九五号証の二ないし五、同九六号証の二、三、同九七号証の二ないし一三、同九八号証の二ないし五、同九九号証の二ないし八、同一〇〇号証の二、三、同一四六、一五六号証)

(七)  昭和五五年一月二〇日、控訴人は前記特別委員会委員長森若静夫に対する贈賄容疑で豊後高田署に逮捕され、このほか本件一四筆の土地を買い受けながら舩倉基弘ら七名の名義を借りて不実の登記をしたとの公正証書原本不実記載、同行使及び市への売却による譲渡利益を所得として申告しなかったとの所得税法違反の容疑で強制捜査を受けた。このとき、カワノ工業にも捜査が及び、河野は豊後高田署において参考人として事情聴取を受け、市からの買収代金が約七八〇〇万円であったことを知った。

控訴人が拘留されていた間の同年三月八日、控訴人の妻文子は実兄とともに山口県柳井市のカワノ工業を訪れて河野との会見を求め、録音していることを秘匿して河野との会話をテープに収録した(甲四二号証はその反訳文)が、その内容は全体として文子において控訴人に対する嫌疑が不当なものであり、控訴人は無実であること、捜査機関の捜査のやり方が卑劣であることをるる申し述べ、これに河野が同調し、終始控訴人に対する同情的な態度で対応するという流れの中で、本件一四筆の土地の本当の所有者がカワノ工業ないしは河野であったという文子の発言に対し、河野はこれを認めることなく、本件一四筆の土地の名義人となった七人の者はそれぞれ市から支払われた買収代金を自己名義の定期預金証書や債権証書として保持しているのであるから、客観証拠上は所有者ということになるのではないかという見解を述べ、また、これらの名義人に真実自分らが買い受けたものである旨言い通してもらうことを提案するなどした。

同年三月二五日と四月二二日の二度にわたり、河野は大分地方検察庁で参考人として取り調べを受けたが、その結果作成された供述調書(乙三六、五九号証)では、河野は検察官に対し、本件一四筆の土地は控訴人の申し出により控訴人に譲渡したものである旨明確に供述したようになっている。

控訴人は前記贈賄等により起訴され、同年四月二六日に保釈が許可されたが、同年五月六日、カワノ工業を訪れて河野と会見し、文子のときと同様黙ってそのてんまつをテープに録音した(甲四三号証はその反訳文)。その中で、河野は、長期間拘留された後保釈された直後で、公判事件が係属中の控訴人に同情し、捜査機関の不当な見解や捜査方法の不適切さを非難し、昭和四七年の買い受けのときも実際の買受人は控訴人ではないかという捜査官の質問に対しても強く否定しておいた旨述べ、かつ、市のために他の市町村では用地買収が困難なことが多い下水の終末処理場用地を確保したのはむしろ控訴人の手柄であり、書類上もきちんと七名の名義人の所有となっているのをとやかく言う方がおかしい、登記名義を借りることは世間で普通に行われていることで、これを罪に問うのは非常識であるなど、長年来親交を結んできた控訴人の立場を擁護する発言に終始した。

ところが、控訴人は「公判で真実が明らかになる」という曖昧な言い方をして、前記公正証書原本不実記載罪等の被告事件において、実際に不実の登記をさせたのはカワノ工業ないし河野であって自分はこれを手伝ったにすぎないと主張し、実際にはもはや河野ないしカワノ工業とは対立する立場にあったことを秘匿し、しきりに本件一四筆の土地が実際にはカワノ工業ないし河野の所有であったことを強調する発言を繰り返し、買収代金(控訴人はこれを裏金と称し、一方、河野は昭和四七年の買い受け時に支出した九〇〇万円のことを裏金と呼び、豊後高田署や大分検察庁で事情聴取されたときには、もらった人に迷惑がかかるといけないから黙っていたことを話題にし、また、控訴人から柳井に持参するという申し出を受けた前記の二〇〇〇万円はこの裏金の返還分と考えていたと見受けられるところ、会話中では両者が混同されて用いられている様子が見られる。)は自分が預かっているが、これを持って来るからカワノ工業ないし河野の方で所得税の申告をしてほしい、残った本件四筆の土地も河野側の土地であり、名義人がカワノ工業から買い受けた時の代金に充てた借入金債務がまだ残っているから善処してほしいなどと申し向けた。

しかし、河野は控訴人の発言に対し、ただ単に会話の流れとして相槌ちを打つだけで、本件一四筆の土地が実質的にカワノ工業ないし河野個人の所有に属し、カワノ工業ないし河野が直接市に売却したという点については明確に肯定する発言はせずカワノ工業または河野個人で譲渡所得の申告をしてほしいという控訴人の申し出に対しては、考え方としては、カワノ工業ないし河野個人が真実の所有者であったという前提で買収代金の譲渡所得につき修正申告をするか、控訴人が自己の所得として申告するかであるとしたうえで、カワノ工業としては帳簿上売却済として完結しているから受け入れるのは困難ではないか、納税後多少なりとも残りが出るのなら控訴人において自己の所得として申告してもらっても良いという意見を述べつつ、なお検討してみるとし、買収の対象外となった本件四筆の土地についても、カワノ工業の所有名義に戻す方法はなく、保全のための措置が可能かどうか検討してみようという対応であったが、翌日、控訴人に対しカワノ工業の所得として修正申告してほしいという申し出に応じられない旨返答した。

同年七月二日、同年一一月一九日、翌昭和五六年三月二四日の三度にわたり、河野は宇佐税務署国税調査官の調査を受け、その結果質問てんまつ書三通(乙一四五一五〇一五四号証)が作成された。その内容は、本件一四筆の土地全部が一九〇〇万円で市に売却されたものと思っていたが、実際は買収されたのは本件一〇筆の土地のみであり、代金額も約七八〇〇万円であることは警察の事情聴取の際に初めて知った、控訴人は市に売ってくれと言ってきたのであり、自分が買うとは言ってないので、気持ちとしては市に売ったと思っていた、カワノ工業としては一九〇〇万円で売却したとき以降はまったく関係がなく、後は控訴人が市に売ろうと第三者に売ろうと口出しができる筋合いのものではない、控訴人は二〇〇〇万円を持参すると言っていたが、昭和四七年の買い受けの際に控訴人に交付した裏金九〇〇万円に複利の利息を考えるとその位は当然だと思う、この金は控訴人が返すといえば受け取るが返してもらえる見込みはなさそうだ、というものであり、初回の昭和五五年七月二日の供述とその後の二回の供述とでは、控訴人に対する姿勢ががらりと変わり、その事情につき、自分としては控訴人に同情的で、何かできることがあればしてやりたいという気持ちであったが、控訴人が自分との会話をひそかにテープに録音していたことを知ってからは、控訴人に対して立腹していると供述した。

また、控訴人に対する公正証書原本不実記載罪等の被告事件の第一審第六回公判(昭和五五年一〇月九日)において、河野は証人として証言した(控訴人三二号証はその尋問調書の写し)が、その中で、自分としては市に売ったと考えており、控訴人に売ったのではない、一九〇〇万円あるいはこれに九〇〇万円を加えた位の代金で市に売ったと思っている旨述べた。

(八)  昭和五六年五月一五日、控訴人に対する前記贈賄、公正証書原本不実記載、同行使被告事件につき、大分地方裁判所は控訴人に対し執行猶予付の有罪判決を下し、控訴人は右公正証書原本不実記載の犯行はカワノ工業の代表者河野が首謀者であり、控訴人はその幇助もしくは実行行為の一部を担当したにすぎないという従来からの主張を掲げて控訴したが、福岡高等裁判所は、昭和五七年三月一八日、右主張を排斥して控訴人の控訴を棄却し、控訴人はこれに対して上告したが、同年九月一四日、高等裁判所により上告は棄却された。

この間、控訴人は山大コンクリート工業株式会社を被告として未払の役員報酬及び退職慰労金の合計一一二〇万円の支払を求める訴えを提起し(大分地方裁判所豊後高田支部昭和五六年(ワ)第二一号)、河野も控訴人を被告として前記昭和四七年の本件土地の売買に関して控訴人に渡した裏金九〇〇万円につき、控訴人は河野に対し、昭和五二年七月の売買に先立ち、売却できたときは利息を付けて返還する旨約したとして、その支払を求めて提起した(同裁判所同年(ワ)第二五号)。

右事件は併合審理され、河野は、昭和五八年八月一〇日の本人尋問において、昭和五二年七月に控訴人が本件一四筆の土地を市に売ってくれと言ってきたので売った、自分としては市に売るという考えであったが、実際には控訴人に渡ってから市に行った、このとき、控訴人は昭和四七年の買い受けのときに支払った裏金九〇〇万円は土地が売れたら返すということであったなどと供述した。

(控訴人四〇号証、同五二号証の二及び五、同五八号証の二、乙一一四ないし一二一号証)

(九)  控訴人は、前記定期預金等を満期到来のつど預け替え、昭和五七年三月当時は大分信用組合高田支店の大賀日出美名義の定期預金二口(金額三四四万円余、一九五三万円余)と普通預金一口(金額八万円余)、舩倉基弘名義の定期預金二口(金額三四四万円余、一八八三万円余)と普通預金一口(金額五〇万円余)、大分銀行高田支店の岡本隆名義の定期預金二口(金額二八〇万円余、二四五万円余)と普通預金一口(金額一九万円余)としていたところ、前記のとおり控訴人の依頼により各名義人が保管していた預金証書等は、昭和五四年一二月から翌年一月ころにかけて控訴人の所得税法違反等の容疑事件に関し豊後高田署ないし大分地方検察庁により領置され、この状態で右預金等は、昭和五七年三月二四日、国税滞納処分により差し押さえられ、その一部が順次取り立てられて国税に充当されたが、徴収完了により右のうち大賀日出美名義の定期預金三〇〇万円余、普通預金八万円余の全額、舩倉基弘名義の定期預金三四四万円余と普通預金五〇万円余が差押を解除され、現存している。

また、前記債権類について控訴人は満期到来のたびに順次乗り換え、昭和五七年三月当時は野村証券大分支店の堀江政勝名義の各種債券(金額合計約一六〇〇万円)、同じく岡本隆名義の各種債券(金額合計約一二〇〇万円)としていたところ、前記のとおり控訴人の依頼により各名義人が保管していた預かり証等は同様に大分地方検察庁により領置され、この状態で右債券は、同月二五日、同じく国税滞納処分により差し押さえられ、その一部が順次換価または取立がなされて国税に充当されたが、徴収完了により右のうち堀江政勝、岡本隆名義の各国債(金額はいずれも三〇〇万円)が現存している。

なお、右滞納処分につきカワノ工業及び河野は何ら不服申立をしなかった。

また、控訴人と河野らとの間の前記民事訴訟は、昭和五九年一一月一四日、控訴人はその保有する山大コンクリート工業の株式二〇〇株を代金四〇〇万円で河野に譲渡する、控訴人及び河野はいずれも相手方に対する請求を放棄し、本和解条項に定めるほかには何ら債権債務がないことを相互に確認するなどの条項を定めた裁判上の和解により終了した。

(控訴人五三号証の二、同五八号証の一、二、乙八三、八四、八七、八八、九〇、九四、九五号証の各一)

(一〇)  昭和六一年八月二六日、早田晴次はカワノ工業を訪れ、河野に対し、本件四筆の土地処分につき早田晴次を代理人として一切の権限を委任する旨の委任状(控訴人一七号証)を示し、控訴人のせいで迷惑しており、土地を早く売って始末したい、河野の印があると処分し易いなどと申し向けて署名押印を求め、河野はお互いに迷惑しているのだからということでこれを承諾し、署名押印した。

早田晴次は、翌昭和六二年三月一四日ころ、実弟である早田藤夫に前記波多及び東本の所有名義となっていた本件13、14の土地を代金一五四七万円として売渡し、また、同年同月一六日ころ、右早田藤夫に自己の所有名義となっていた本件11、12の土地を代金一五四七万円として売り渡したとして、同年六月二七日ころ、河野に対し、右売却代金二四七〇万円のうち二二七〇万円は大分県信用組合高田支店に支払うべき借入金の残金、控訴人が支払った利息分、早田晴次ら三名の名義人に対する弁護料、罰金及び慰謝料として差し引かせてもらい、残額二〇〇万円を渡す旨申し向け、右内訳等を記載した精算確認書と題する書面(控訴人二〇号証)を示し、河野の署名押印を求めた。河野はこれに署名押印して早田晴次に交付し、右二〇〇万円は早田晴次からの謝礼の意味と理解して受け取り、その後、贈与を受けたものとして贈与税の申告をした。

(控訴人一八号証の一ないし三)

2 以上認定の事実によって検討するに、

(一)  カワノ工業が日出美ら七名に対して本件一四筆の土地を売り渡す旨の昭和五二年七月一日付土地売買契約書等が作成された経緯は前認定のとおりと認められるところ、控訴人は、原審において、河野の指示によりカワノ工業の顧問会計士廣田に相談し、同人から、市に売る前に名義を分けておけば右特別控除が受けられる、今分けておくことは合法的なことであって脱税にはあたらない、買収代金は国債や定期預金などにしておき、税務調査が終わった後に持ってくれば良い、売買代金が低廉である点は昭和四七年の買い受け時に買い戻しに関する書類を作っておけば良いなどの指導を受けたので、これを河野に報告したところ、河野からそのように実行するよう指示され、契約書等の原案もカワノ工業で作られた旨述べる。しかし、廣田は控訴人が聞きにきたのは右特別控除は売主一人につき三〇〇万円までなのか、一団の土地についてなのか、控除は年度毎なのか、多額の金員の保管はどうしたら良いかという一般的な問題についてであって控訴人が述べるような説明はしていないとのことであり(甲三七号証)、常識的に考えても、公認会計士が明らかに脱税にあたる架空の売買を合法的であると説明したり、所得の隠匿工作を具体的に指導したりしたなどということはおよそ想定しがたく、控訴人の右供述は全体として信用できない。一方、河野は、前掲各供述調書等において、右契約書も念書もすべて控訴人が作って持ってきたので、これに署名押印したにすぎないと述べているが、これも真偽を判定するに足りる確実な証拠はなく、したがって、右契約書等による仮装売買の工作が控訴人と河野のいずれの主導のもとに行われたかは確定できない。

また、前認定のとおり、控訴人は七名の者に対して名義貸しの依頼を行い、右名義人に対しては自分が本件一四筆の土地を買い受ける旨説明し、後に名義貸しに対する謝礼を支払ったものであり、河野ないしカワノ工業がこれに関与した形跡はないが、この事実は、これらの行為を控訴人が自己の判断と計算のもとに行ったのか、河野から広範な権限、裁量権を委ねられた代理人として実行したのかについての判断の手がかりとはなりにくい。

(二)  しかし、控訴人は、右契約書で定められた売買代金を、わざわざ早田晴次に依頼し、本件一四筆の土地に抵当権を設定して金融機関から借り入れさせることまでして調達し、これをカワノ工業に対して実際に支払ったものであるが、仮にこれが完全な仮装売買であれば、カワノ工業は七人の名義人らに対する架空の領収書を発行し、帳簿上入金があったように処理すれば足り、現実に入金させる必要はなかったのではないかと考えられ、したがって、右代金調達及び支払の事実は控訴人が実際に本件一四筆の土地を買い受けたと認めるべき根拠となり得る。

また、控訴人は右契約書作成以前は本件一四筆の土地の公租公課を立替払いし、カワノ工業から支払を受けていたのに、その後は自ら納付し、カワノ工業には請求していないが、これも本件一四筆の土地の所有権がカワノ工業から控訴人に現実に移転した事実を推認させるものである。

(三)  また、市ないし公社への売却に至るまでの交渉、価格の決定、代金支払方法の指定はすべて控訴人が自己の判断により行い、これらがカワノ工業ないし河野との相談、打合せのもとに行われた形跡はなく、公社から支払われた買収代金は控訴人が名義人らを介して受領し、自己の判断によりこれを定期預金等に分散して保持していたものであり(控訴人は河野に対してたびたび経過を報告していたと述べるが、これを認めるべき確実な裏付け証拠はなく、また、前述のとおり、買収代金を国債等に換金して保持したことが河野の指示によるものという控訴人の供述は信用できない。)かつ、前記昭和五五年三月及び五月の控訴人ないしその妻文子と河野との各会見を録取したテープの反訳文によると、河野は土地の買収に関する経過について関心を有しておらず、詳細はほとんど知らなかったことが看取できるのであり、これらの事実は控訴人が河野ないしカワノ工業から指示を受けた代理人としてではなく、土地の完全な処分権限を有する主体として、独自の責任と判断により行動したことを指し示すものということができる。

(四)  なお、カワノ工業ないし河野は本件各処分に基づく右定期預金等に対する国税滞納処分による差押、換価処分に対し、これらが自己に属するとして異議申立をしたことはなく、また、徴収完了により右処分が解除された残余の預金等につき控訴人に対してその返還を請求していないが、河野ないしカワノ工業が国税当局及び控訴人に対していまさら自らが譲渡所得の帰属者であることを申し立て、主張するなどということはあり得ないから、これらの事実をもって本件一四筆の土地の所有者がいずれであったかの判定の資料とすることはできない。

ただ、控訴人と河野との間に成立した前記民事訴訟の和解においてもこの処理がなされず、かえってもはや相互に何らの債権債務がないことが確認されていることからすると、残余の定期預金、国債が法律上最終的に控訴人に帰属したと解するべき余地がないではないが、右訴訟上の和解が成立した経過、債権債務がないことの確認がどのような趣旨のもとにされたのかが必ずしも明らかではないため、重視することはできない。

(五)  控訴人が昭和五五年五月六日にカワノ工業を訪れて河野と協議した折りの会話は、表面的には控訴人と河野らが共謀して実行し、露顕してしまった土地譲渡代金の脱税工作の後始末について謀議をこらしているようにも見えないではないが、実体としては、控訴人において、ひそかに会話を録音し、前記公判事件において本件一四筆の土地につき七人に名義を借りて不実の登記をした首謀者は河野であり、自分はこれを手伝ったにすぎないと主張していること、すなわち、もはや控訴人と河野は共通の利害で結ばれているのではなく、逆に対立関係にあることを河野に秘匿しつつ、ことさら本件一四筆の土地がカワノ工業ないし河野の所有であり、所有であったという発言を繰り返して、これを肯定する河野の言質を録取しようという意図が明らかに看取され、買収代金につきカワノ工業ないし河野の方で所得税の申告をしてほしい、残った本件四筆の土地も河野側の所有であるから善処してほしいなどと申し向けて河野側の対処を求め、河野がいかにも善後策を控訴人と密議したかのように印象付けようとしているのに対し、河野は控訴人の右意図に気付いた様子はなく、公正証書原本不実記載や所得税法違反の嫌疑を受けている控訴人に同情する態度を示し、右嫌疑の不当性を非難するなど控訴人との信頼関係がなお継続しているという認識のもとに、買収代金及び残った本件四筆の土地が河野側に帰属するという控訴人の発言に対し、ただ会話の流れとして相槌ちを打つだけで、これを明確に肯定する趣旨の応答はしておらず、これらが河野側に属するという前提のもとに取り戻すための方策を積極的に検討したわけでもなく、基本的には既に売却した形で処理が済んでいるから返してもらうということはできないという姿勢であり、ただ控訴人の申し出に応じて問題の所在と論点、想定し得る方策につき検討してみるという対応しかしていないのであって、これは脱税工作の首謀者がその手足となって実行行為を行った者との間で隠蔽方策を協議したという状況とはいえず、また、首謀者が処罰や課税を逃れるために実行行為者にすべての責任を負わせようとして事実を歪曲し、自己の関与を極力否定しようとしているという状況にもそぐわないのであり、むしろ、右会話からは、河野が市ないし公社に買収された土地が本件一四筆の土地の全部なのか、どの一部なのか、いつ、幾らの代金で買収されたのか、買収代金はどのように保管されているのか、残った四筆の土地がどうなっているのかなどについて無関心であったこと、控訴人が持参すると言明した昭和四七年の買い受け時の裏金九〇〇万円の返還分である二〇〇〇万円を除き、譲渡による利益を取得し、あるいはこれを回収することに積極的ではなく、むしろそのような意思を有していなかったことがうかがえる。これは、録音されていることを知らなかったがゆえに河野の事実認識や意図がありのままに表れたと認められることに照らし、河野は昭和五二年七月一日付売買契約書の作成の後は本件一四筆の土地の所有権はカワノ工業のもとを放れ、控訴人がこれをどのように処分しようとも一切関係がなく、市ないし公社への売却による譲渡利益は自己またはカワノ工業のいずれにも帰属せず、河野としてはただ前記の二〇〇〇万円を返してもらえば良いと考えていた事実、ひいては、右譲渡利益の帰属主体が控訴人にほかならない事実を認めるべき根拠となるものである。

更に、右会見の以前に河野が大分地方検察庁が参考人として事情聴取を受けた際に作成された供述調書では、後述の証人としての証言や当事者本人としての供述と異なり、河野はカワノ工業が本件一四筆の土地を売却したのは控訴人である旨明確に供述したことになっており、これは客観的には控訴人に不利な事実の供述であって(現に、控訴人は、原審において、右供述調書を閲読して河野が全面的に控訴人に罪を被せようとしていることが分かったため、河野との会話を黙って録音することを考えついた旨述べている。)、仮に河野が真実に反することを認識しながら右の供述をしたとすれば、河野はそれこそ控訴人に全部の責任を負わせ、自らは何の関係もないという立場を取ろうとしたにほかならないことになるから、その後に控訴人と会見した際に、右の立場を維持せず、前記のように控訴人との信頼関係がなお継続しているという姿勢のもとに無防備な対応をし、控訴人につけ入る隙を与えたのは不可解というほかない。これは、河野にとっては右検察官に対する供述内容が真実に反するという認識がなく、ことさらに事実と違う供述をすることで控訴人を裏切り、不利な立場に追い込んだという認識もなかったためと考えれば、無理なく説明できるのではないかと思われる。この点も本件一四筆の土地の所有権がカワノ工業から控訴人に移転し、市ないし公社への売却による利益を控訴人が取得したという認定の根拠となり得る。

(六)  ただ、河野は控訴人の前記公判事件において証人として証言し、また、前記民事訴訟事件において当事者本人として供述した中で、本件一四筆の土地は市に売却したのであり、控訴人に売ったものとは考えていない旨繰り返し述べており、これは本訴における控訴人の主張を裏付けるものであるかのように見える。

しかし、右証言、供述の前後の脈絡のほか、これがなされたころには既に河野またはカワノ工業の立場と控訴人の立場とは相対立しており、河野が自己またはカワノ工業が市ないし公社に土地を売却したという控訴人の主張を補強するような証言、供述をする理由がないばかりか、河野は控訴人の主張に沿う証言、供述をすれば河野またはカワノ工業の不利益となってはね返ってくるおそれがあることを十分理解していたと推認され、かつ、他方において、前述のとおり昭和五二年七月一日付土地売買契約書作成の後は本件一四筆の土地はカワノ工業及び河野とは一切関係がなくなり、後は控訴人が誰に売却しようとも口出しはできないと考えていた旨供述していることに照らし、右証言、供述の趣旨は、それが客観的真実に合致するかどうかはともかくとして、河野としては土地で儲けようというつもりはなく、市ないし公社に低廉な価格で取得させる意思であったのに、控訴人は土地を自分のものとし、七人の名義に分けるという脱税工作をしたうえで高額な価格で売却し、もって買収代金を不当に取得したのであるとして、専ら自己及びカワノ工業の立場を擁護し、同時に控訴人の非を申し立てようとしているところにあると考える余地があり、そうでないとしても、右証言の中には、控訴人に売ったということは市に売ったということであるとも述べているように受け取れる部分があり、自分の気持ちと法律的な意味付けとの間に混乱を生じているふしが見受けられ、いずれにしても、右証言及び供述を本訴における控訴人の主張を裏付けるべき根拠とするのは困難である。

(七)  昭和六二年に市ないし公社の買収の対象にならなかった本件四筆の土地が売却処分された際に、河野が早田晴次に処分を委任する趣旨の委任状を交付したなどの経緯に関し、原審証人早田晴次は、本件四筆の土地の所有者はカワノ工業ないし河野であるという認識であったから、これを処分するにあたって河野の委任状をもらい、代金から諸経費などを控除した残金二〇〇万円を渡したと証言する。しかし、市議会議員として同じ会派に属していたことがあるなど控訴人と親しく交際していた早田晴次は公正証書原本不実記載などの嫌疑で取り調べを受けた際には検察官に対し控訴人から頼まれて名義を貸した、真実の所有者は控訴人であった旨供述しており(乙三ないし六号証)、真実の所有者が誰であるかについての早田晴次の認識がこのように変化したのはいかにも不自然であるうえ、本件一四筆の土地の買い受け代金を自己の名義で大分信用組合から借り入れた件や控訴人から頼まれて自己の所有名義で登記することを承諾した件につき、カワノ工業の土地であるからカワノ工業が借りたものと思うとか、本当はカワノ工業のものであるけれども控訴人から名前を貸してくれと頼まれた旨述べるなど、その証言態度には以前に調書化された内容と齟齬するのを無視して強引に控訴人の本訴における主張を補強しようという意図が明らかに看取され、全体として信用することができないのみならず、早田晴次はことさらに河野の委任状を徴して本件四筆の土地を処分し、代金の一部である二〇〇万円を河野に交付し、もって右土地の実質的所有者が河野であったという外観を作出しようとした疑いをも抱かせるものである。

このような委任状を作成交付すれば、河野が本件四筆の土地の真実の所有であり、ひいては市ないし公社に買収された本件の一〇筆の土地の買収代金の実質的帰属者であるという控訴人の主張に根拠を与えるおそれがあるのは明らかであるから、仮に河野が実際には右買収代金の帰属者であるのに、その責任を控訴人に押しつけようとし、そのためには多額の買収代金の回収を断念することも辞さなかったのであれば、このような委任状の作成交付の求めに応じた筈はなく、したがって、控訴人によって多大の迷惑を受けた名義人が気の毒であるという動機に基づいて委任状の作成交付に応じたという河野の所為は迂闊であるにしても、かえって真実に合致していると認めるのが相当であり、したがって、右委任状の作成交付等の経緯に関する事実は本件一〇筆の土地の売却による利益の帰属者が誰であったのかの判定の参考にはならない。

(八)  カワノ工業が本件一四筆の土地を取得した昭和四七年からこれを七名の名義人に売り渡した旨の売買契約書が作成された昭和五二年までの間は一般的に地価の上昇が著しかった時期に該当することは周知の事実であり、かつ、前認定のとおり河野は昭和四七年の買い受け時に取得代金一二〇〇万円余の他に裏金として九〇〇万円を控訴人に交付したことを考えると、本件一四筆の七を売却するにあたり取得代金とこれに対する年八・二五パーセントの利息相当額、公租公課及び諸費用の合計額にすぎない一九〇七万余円の対価の支払を受けたのみで満足したというのは明らかに不自然である。

河野は、前記の各供述調書、証人尋問調書、質問てんまつ書や昭和五五年三月及び五月の控訴人の妻文子、控訴人との会見の中で、一貫して、土地が市の下水道終末処理場の建設用地として公共のために役立ち、一般に他の自治体では確保するのに障害が多い終末処理場の建設用地が買収できれば市議会議員である控訴人の手柄になり、右建設に際してはカワノ工業の製品であるコンクリートパイルの販売も期待できる、カワノ工業は順調に利益を上げているから、土地で儲けようとは思っていなかった旨述べるけれども、他方において、河野は右売買契約書作成時に、カワノ工業が五年以内に本件一四筆の土地に進出しないときは、買い受けたときの価格に利息を付した価格で日出美に譲渡する旨の日付をさかのぼらせた念書の作成にも応じており、これは一九〇七万余円という定額で売り渡すことを外見的に正当化するための工作にほかならず、また、三〇〇〇万円の特別控除を受けるために七名の名義に分散することについても控訴人と協議しているうえ、昭和四七年の買い受け時に控訴人に交付した裏金九〇〇万円は控訴人から返してもらえるものと考えていたと述べ、かつ、買収代金六〇〇〇万円のうちの二〇〇〇万円を持参するという控訴人の申し出に対し、これを格別不審とせずに対応したと認められることに照らし、右名義人への売り渡し価格が不相応に低額であることは承知のうえで、市ないし公社の買収価格との間にかなりの差額が生じ、右差額すなわち譲渡所得が名義人らの受ける特別控除により課税されずにまるまる残ることを予測したうえ、右差額の一部(二〇〇〇万円という金額が当初から合意されていたことを認めるべき証拠はなく、控訴人が後に柳井に持参する旨河野通晴に告げたときに初めて金額が確定したものと認めるのが相当である。)を控訴人から受け取る意思であったことが確認される。河野は、控訴人から支払を受けるつもりであった右金員につき、これを昭和四七年の買い受け時に控訴人に交付した裏金九〇〇万円とその利息相当額であるとして正当化しようとしているが、裏金といえども実質的には売買代金の一部であるから、その受渡しをしただけの控訴人が河野に返済しなければならない根拠はなく、右正当化は成り立たない。したがって、右金員は端的に買収代金の分配、ないしは昭和五二年七月の土地売買契約において定められた表向きの代金以外の新たな裏金として控訴人が河野に支払を約したものというべきである。

しかしながら、河野と控訴人との間にこのような合意があったことと、控訴人が本件一〇筆の土地をカワノ工業から買い受けてこれを自らの計算のもとに市ないし公社に売却し、これによる譲渡利益を取得したこととは、もとより矛盾するものではない。すなわち、前認定のとおり、控訴人は市ないし公社への売却代金が実際には七八六二万余円であったのに河野通晴にはこれを六〇〇〇万円と告げ、昭和五二年七月一日付土地売買契約書における売買代金に充てるための借入金の返済分を差し引いた訳四〇〇〇万円のうち、市長に一〇〇〇万円、前記森若静夫に五〇〇万円、名義人に対する謝礼として五〇〇万円が必要である旨明らかに事実に反する理由を述べ、残り二〇〇〇万円を持参する旨連絡した事実があるところ、控訴人がこのように虚偽の事実を告げたのは市長らに渡すという二〇〇〇万円と、実際の買収価格との差額一八六二万余円の合計三八六二万円余を自己において領得する意思であったためと推認される。そうすると、単純計算によれば、河野ないしカワノ工業は昭和四七年の買い受け時に代金約一二〇〇万円と裏金九〇〇万円の合計約二一〇〇万円を支出しているから、控訴人から昭和五二年七月一日付売買契約書上の代金約一九〇〇万円の支払を受けてもなお二〇〇万円が未回収であり、控訴人から買収代金のうち二〇〇〇万円の支払を受けたとしても利益は一八〇〇万円にしかならないのに対し、控訴人は買収代金約七八六二万円から河野側に支払う二〇〇〇万円と昭和五二年七月一日付売買契約書上の代金の支払に充てるための借入金の返済分約二一〇〇万円を差し引いた約三九六二万円を取得することになり、控訴人が支出した経費を考慮してもなお河野側の二倍近い利益を手にすることとなる。これは脱税工作の手足となったにすぎない控訴人が受領した買収代金を首謀者である河野に渡し、自らは報酬の支払を受けるだけの予定であったという状況に合致しないことは明らかであり(控訴人は、原審において、河野の息子である河野通晴から利益の一割を謝礼として支払うと言われたと供述しているが、右認定事実に照らし、もとより信用できない。)、事実はむしろ、控訴人は譲渡利益の大半を取得し、一部を河野に支払う意思であったと認められ、これもまた、控訴人が本件一〇筆の土地をカワノ工業から買い受けてこれを市ないし公社に売却し、譲渡利益を取得したと認定する有力な根拠となるものである。

以上の検討結果によれば、本件一〇筆の土地を市ないし公社に売却して買収代金を取得した主体は控訴人であり、控訴人は右買収代金を自ら取得するためにカワノ工業から本件一〇筆の土地を含む本件一四筆の土地を買い受けたものと認められ、本件一〇筆の土地を市に売却して代金を取得したのはカワノ工業ないし河野であるという控訴人の主張は理由がない。」

二  よって、原判決は正当であり、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 緒賀恒雄 裁判官 池谷泉 裁判官 川久保政徳)

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